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がんこ本舗HP
http://www.gankohompo.com/
有限会社がんこ本舗代表
木村 正宏(きむちん)さん

最後の清流と呼ばれる四万十川の支流で、魚をつかまえて遊んだ子ども時代、そしてプロ登山家として(ヒマラヤにて日本人初登頂2回公式記録あり)、常に自然と密接な生活を続けるうち、山から川へ、海へ...と流れていく「水」が汚染されている現実を目の当たりにし、環境運動を本格的に始めるようになる。特に、心を痛めていたのが、家庭から流れる排水。「排水パイプは小さな海。
我が家の排水がきれいになれば、海も変わる」という願いのもと、1999年、洗濯用洗剤「海へ・・・」を発売。
現在はNippon有数の作家やメーカーとコラボレーションするシリーズ「x(エックス)きむちん」のプロデュース方面でも活躍中。

「森から海へ」でも1番の人気商品、洗濯用洗剤「海へ…」。
水だけでお掃除が出来るクロスやフキンなど、がんこ本舗の商品たちはどれもシンプルで機能的。
そしてデザインにも優れています。かつてはプロ登山家や環境コーディネーターとしても活躍していた“きむちん”こと木村正宏社長に、じっくりお話をお伺いしました。

文武両道だった子供時代

松澤(以下m):いきなりこんな質問で申し訳ないのですが、中学生の頃に発明コンクールで入選したと聞いていてずっと気になっていました。その時は一体何を作ったのですか?

きむちん(以下k):画びょう!

m:画びょう?

k:昔のよくある平べったい画びょうの1/3を45度に折り曲げたもの。そこを引っ張ると針を曲げずに抜くことが出来る。簡単に刺せて、簡単に抜ける画びょう。当時は理科クラブに入っていたんだよね。

金子(以下s):やっぱり!

k:小学校は剣道、中学校は軟式テニスと掛け持ちで理科クラブ。

s:どんな小・中学生だったんですか?

k:子供のときは周りの人と調和をとるのが苦手で昆虫観察のような一人遊びも良くしていたんだよね。体を動かすことも好きで、その理由は、走ると耳にピューーッて風をきる音がするでしょ?あれが大好きでずっと走ってた。走らないと聞こえないでしょ。だからずっと走っていた。嘘みたいな話だけどそしたら足がすごく速くなったんだ。それで高校1年の時に陸上部にスカウトされて、試しに走ってみたら陸上部の人たちより速かった。自分が速いという自覚はなかったけど、後に県大会で入賞して自分は走るのが速いんだって気がついた。でもあくまでも速く走りたいわけじゃなく、風の音を聞きたいだけだったんだけどね(笑)

m:おもしろい!勉強の方はどうでしたか?

k:小学生の頃の話に戻るけど、勉強のほうも同じ調子でいつも出来てないと思い込んでいた。だから塾に通わされていると思っていたんだけど、実はその塾は中学生の塾だった。すでに小学校の数学の教科書はマスターしていたみたいで、先生と親が話し合ってそこに行くことになったみたい。どおりでまわりとの身長が違うわけだ(笑)

m:すごい。そうしたら中学に入ってからの授業は楽勝だったんでしょうね。

k:だからというか、中学時代は勉強より軟式テニスに明け暮れたけど正直あまり上手ではなかったかな。高校では頑張って陸上で全国10番くらいに入っていたから、よし大学は推薦でどこかに入れる!と思っていたらどこからもお誘いがこなかった・・・。どうしたらいいんだろと思ったのがもう3月!親に相談したらまだ間に合う学校があるから行かないか?といわれたのがなんと自動車学校(笑)

m:そこでその発言ができるご両親、かなりのユーモアをお持ちですね(笑)

s:推薦で大学に入ろうと思っていたということは陸上を続けようと思っていたわけですよね?入学した東京農業大学はかけはなれたイメージがあるのですが・・・。

k:それがさ、その頃の身長は173cmで体重53kgだったの。陸上選手だからガリガリ。でも食べ盛りだからご飯はたくさん食べる。そんなある日、エチオピアで食べ物がなくてたくさんの子供達が飢えて死んでいるというニュースをたまたま食事中に見たの。親は食べながら「かわいそうにねぇ」って言うだけなんだけど、俺はもうショックが大きすぎて何も喉を通らなかった。それで、食料がないなら作ればいいじゃん!って単純に思ったのが農大に進んだきっかけ。作物が生育しやすい土壌を作りさえすればそこに作物が出来るわけだから、そちらの道に進むべきだって思った。

s:食事中に見たニュースがきっかけで陸上から農大にシフトしたわけですか?

k:陸上を一所懸命やって、仮にオリンピックに出ることが出来るくらいになったとしても、きっと予選敗退くらいのレベルだっただろうし、何より同じ地球に住んでいる子供がたくさん亡くなっているという事実に目を背けることができなったね。

s:とはいえ陸上で積み上げてきた実績があるのに、まったく違う分野に進む決断ってなかなかできるものではないと思います。

k:体力はあったからね。耕すにしろ何にしろ、いけるだろう!と思った。食べられないなら作る。土壌に問題があるならその原因を突き止めれば作物はできる!

s:なるほど。単純明快ですね。

k:でしょ。だから躊躇もしなかったし、そのために夢を捨てるとかいう気持ちはなかったなぁ。

m:大学ではどんな活動をされていたんですか?

k:所属していた海外移住研究部では海外に農業研究所を作るのが夢だった。でも部員のしごきが本当に酷くて結果的に退部してしまった。それを我慢することが出来なかったのが今となっては中途半端な人間だったなぁって思っているんだけどね。辞めて放心状態でいたときに、同じゼミで山岳会の奴がいて「山でも行ったら気持ちが変わるんじゃない?」って言われて「なに!山?!」って話が盛り上がって登山を始めた。











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